エイズがまだ致死的疾患だった1997年頃、大きな転換期がやってきました。

私が自分のHIV感染疑惑に陥ったとき、最初に手にしたエイズの本は『これでわかるHIV/AIDS診療の基本』という本でした。街の大きな本屋に行って、何とかHIV感染のことを調べようとして必死で探しました。

白坂 琢磨 編集  南江堂  ¥2800円+税

編者の白坂琢磨氏は、国立病院機構大阪医療センター・HIV/AIDS先端医療開発センターのセンター長であり、厚生労働省エイズ動向委員会の委員でもあります。日本のエイズ治療の初期から携わったエイズ医療の第一人者のお一人です。

この本の内容は難しいHIV、エイズの話をとても分かり易く説明してありました。それでも医療の素人である私には理解不能なことも随分と書かれてありました。当時私が理解できたのは半分くらいだったでしょうか。

さて、その白坂医師が8月19日付の読売新聞に紹介されていました。記事のタイトルは『薬害患者救命 私の責務 』です。血友病患者に多くの被害者を出した薬害エイズ事件で亡くなる患者を前に、何とかしなくてはとご自分の医者としての責務を感じた白坂医師の当時の想いが記事になっています。

その記事によると、白坂医師がエイズ医療に係わり始めたのは1989年の夏でした。白坂医師はアメリカ国立がん研究所(NCI)へ留学し、臨床的な基礎研究を始めました。

1989年といえばどんな時代だったのでしょうか。『エイズの歴史・エイズ年表』をご覧頂くとお分かり頂けますが、血友病患者が非加熱製剤によるHIV感染訴訟を起こした年でした。そしてエイズ予防法が施行された年でもありました。

私自身、当時を思い返してみるとまだまだエイズに対する知識は不足しており、正直言ってHIV感染者に対する差別や偏見はあったと思います。

白坂医師は1994年にアメリカ留学を終えて日本に戻り、大阪府立羽曳野病院で、内科医長に就任されます。するとその病院へカリニ肺炎を発症したエイズ患者が入院してきます。

白坂医師は厳重な管理は不要だと言うのに、病院としての受け入れは患者を個室に収容し、室内に簡易トイレを置いたそうです。そして看護師の格好も宇宙服とは言わないまでも物々しい厳重なものだったのです。

これではまるで空気感染、飛沫感染する感染症の扱いです。HIVにはそんな強力な感染力はありません。でも、当時は患者や一般の人だけでなく、医療関係者も正確な情報や知識がなかったのですね。

血友病の治療でHIVに感染してしまった患者の治療にあたった白坂医師ですが、当時はこれといって有効な治療法もありませんでした。HIV感染は数年先のエイズ、そして日和見感染症による死を意味していました。まさに致死的疾患、死の病だったのです。

白坂医師も多くのエイズ患者を看取りました。医師としては断腸の想いだったことでしょう。

そして1997年、近畿のエイズ医療拠点病院として国立大阪病院が選ばれ、白坂医師は同病院でエイズ担当の内科医長として治療にあたることになります。

そしてこの1997年後から、エイズ治療は大きな転換期を迎えます。何種類かの抗HIV薬を組み合わせて治療を行う多剤併用法(ART)が使われるようになりました。この治療法によって劇的に予後が改善され、HIV感染による死亡患者は激減したのです。図1を参照下さい。

エイズ病変データ
図1.病変死亡者の推移

図1はHIV感染者が病変によって死亡した報告件数の推移を表したものです。ただ、死亡報告は1999年4月より全数報告ではなく任意報告となっており、死亡者の全数を現わすものではありません。ただその傾向ははっきりと読み取れます。ARTの登場によって死亡患者は激減しています。

それまでHIV感染には有効な治療法がなかったのですが、多剤併用法によって体内のHIV増殖を抑え、免疫不全を回復させることが可能になりました。それによって日和見感染症の治療も可能になったのです。

新聞記事によると白石医師は当時を振り返って、次のようにおっしゃっています。

『今は1日、1~2錠ですむ飲み薬の量が、当時は1日あたり十数錠もありました。結石が出来やすいため、服用する際は、毎日1.5リットルの水を取る必要があり、患者にとってはつらかったと思います。』

1日の合計が1.5リットルではありません。薬のために、日常とは別に1.5リットル余計に飲まなくてはならなかったのです。以前、私は尿管結石で救急病院に何日か入院したことがあるのですが、そのとき医師にとにかく水を飲めと言われました。水を飲んで石をオシッコで出してしまえと言うことです。

しかし、1日中ベッドで寝ているだけで、そんなに水が飲める訳がありません。本当に辛い思いをしながら水を飲んだ記憶があります。しかし、それは石がオシッコといっしょに出るまでの数日間だけの辛さです。

白坂医師が語る当時のHIV感染者はそれが毎日ずっと繰り返されるのです。私の辛さの比ではありません。本当に大変だったと思います。

ただ、そうであっても患者が死なず済むことは大きな前進であり、白坂医師は更なるエイズ医療の前進に心を熱くされたのでした。

エイズが日本に上陸して約10年が過ぎた1997年頃、日本ではHIV感染者やエイズ患者の受け入れを拒否する病院が多くありました。すなわち、そうした病院にいた医師もまた偏見と差別の目を持っていたのです。

そんな当時から何とかエイズ患者を救おうとして最前線で医療にあたってきた一人が白坂医師です。こうした医師の活躍があって、今日の抗HIV医療があるのだと思います。

かつて致死的疾患だったHIV感染症は現在では慢性疾患に近づきつつあると言われています。更にいつの日かHIV感染症が完治出来る日が来ることを願っています。

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