あなたは満屋裕明教授をご存知ですか?どんな功績を上げた人か、知っていますか?

実は・・・世界で初めてエイズの薬を開発した日本人です。今回は満屋裕明教授について私が調べたことをあなたにもご紹介したいと思います。

かつてHIV感染症は致死的疾患でした。HIV感染は数年先の死を意味していたのです。それが今では完治こそ出来ないまでも死に至る病気ではなくなりました。慢性疾患に近付いているのです。

このHIV感染症の予後改善に劇的変化をもたらしたのは、一人の日本人でした。

◇ノーベル賞ものの発見!

すでにあなたもご存知の通り、2015年ノーベル生理学・医学賞の分野で日本人大村智氏が受賞の栄誉に輝きました。大村氏の研究開発したイベルメクチンと言う薬が年間3億人もの人々を感染症から救い、その功績が評価されたものです。

実はこの大村氏の功績に勝るとも劣らない功績をあげた日本人がもう一人いました。それが満屋裕明氏です。満屋氏は世界に先駆けて抗HIV薬の開発に成功し、現在のART(多剤併用法)治療の道筋を作った研究者なのです。まさにノーベル賞ものの発見と言えるでしょう。

などとえらそうに今頃書いていますが、実は私もつい最近まで満屋氏のことは全く知りませんでした。当サイトではHIV感染症、エイズに関する症状を始めとする情報を掲載しています。

その一環として抗HIV薬についてもいくつかの記事を掲載してきました。抗HIV薬にはどんな種類があるのか、どんな理屈で治療を行うのか、私が理解できた範囲を記事にしてきました。

しかし、そんな記事を多数書いておきながら、実はその薬が日本人によって開発されたものだとは全く知りませんでした。うかつでした。

そして調べてみると、満屋氏にはいくつものドラマがあり、かなり胸を打たれました。そこで今回、こうして満屋氏の記事を書こうと思ったのです。

 

◇母との約束が生んだエイズ治療薬

満屋氏の母親真喜子さんは、満屋氏が子供の頃から病気がちだったそうです。そんな真喜子さんに満屋氏は、

「人が長生きできる薬をきっと見つける!」

と約束したそうです。

その約束を果たすため、満屋氏はキャリアを積んでいきます。

●1950年長崎生まれ。

●1975年 熊本大学医学部卒業

●同大学医学部第二内科入局

●1980年 熊本大学医学部第二内科学講座助手

●1982年 米国国立癌研究所(NCI)Visiting Fellow(客員研究員)

●1984年 米国国立癌研究所臨床癌プログラムCancer Expert(上級研究員)

 

満屋氏がアメリカに留学していた1981年、アメリカで初めてのエイズ患者が見つかります。(エイズ命名は1982年)無論、当時はHIV感染症は致死的疾患であり、次々と大勢の患者が亡くなっていきました。

満屋氏はアメリカで免疫細胞の研究をしており、「エイズから人々を救うのは自分の仕事だ」と思ったのです。まさにそれは子供の頃母親真喜子さんと約束したことでもありました。

満屋氏は抗HIV薬の研究に打ち込みました。何せ当時は致死的疾患として恐れられたHIV感染症です。そのウイルスを扱う研究は常に死と隣り合わせだったのです。

満屋氏の研究室の同僚はそんな危険な抗HIV研究を拒否し、研究室の使用も禁止しました。そのため満屋氏は早朝、深夜だけ研究室を使い薬の開発に取り組んだのです。

そんな満屋氏の必死の取り組みの甲斐あって、1985年、世界初の抗HIV薬『AZT(アジドチミジン)』の開発に成功します。この薬はHIVが人の免疫細胞の中で自分のコピーを作って増殖するときに使う、逆転写酵を阻害する働きを持っていました。そこから「逆転写酵素阻害剤」と呼ばれる薬となりました。

アメリカ食品医薬品局は1987年、異例の速さで『AZT(アジドチミジン)』をエイズ治療薬として承認しました。ついに世界で初めてエイズ治療に道が開けたのです。

 

◇怒りが生んだ、第2、第3、第4の新薬

しかし、満屋氏と『AZT(アジドチミジン)』を共同開発した製薬会社がかってに特許申請を行い、とんでもない高額な価格で販売を始めました。何と年間に150万円もかかる設定だったそうです。

そんな高額な薬は裕福な患者にしか行き渡りません。特にエイズ患者の最も多い南アフリカでは到底患者が治療を受けることは出来ません。

せっかく多くの人々を救おうとして薬を開発した満屋氏は製薬会社に対して激しい怒りを覚えます。その怒りをエネルギーに変え、1991年には副作用が少ない「ddI」、1992年に「ddC」と、相次いで新薬の開発に成功します。

満屋氏はこうした抗HIV薬が患者に安く提供できるよう働きかけ、おかげで『AZT(アジドチミジン)』の価格も1/3まで下がったのでした。

しかし、こうした抗HIV薬は使用開始時には効果があっても、すぐにHIVが耐性を持ってしまい効果がなくなっていくという欠点がありました。

この欠点を解消したのがARTと呼ばれる何種類かの薬を併用する方法です。これによってHIVの耐性を封じ込め、体内でHIVが増殖するのを防ぐことが出来るようになりました。つまり、HIVの量をコントロールできるようになったのです。

更に満屋氏は2006年、アメリカの科学者との共同研究の末にDRV(ダルナビル)という新薬の開発に成功します。この薬はHIVが体内で増殖するときにタンパク質を分解する酵素の働きを阻害するものです。その働きからプロテアーゼ阻害剤と呼ばれています。ぞれまでの抗HIV薬よりもHIVの耐性に強い薬とされています。

ダルナビル

ダルナビルは商品名プリジスタ錠で、1錠あたり442.5円だそうです。(プリジスタ錠300mg)

満屋氏は途上国の貧しい人々が安いお金で抗HIV医療を受けられるよう、ダルナビルの特許料を不要にして国連の医療機関に登録しました。特許料なしの抗HIV薬の登録はダルナビルが世界初だそうです。(ただし世界中ではなく、途上国のみ特許料なしだそうです)

現在、抗HIV薬は二十数種類存在しますが、そのうちの4種類は満屋氏が中心となって開発したものです。何より世界で初めて抗HIV薬の開発に成功し、後の抗HIV医療の道筋を作った功績はとても大きなものでした。

私が思うにノーベル賞にも値する世紀の大発見だと思うのです。しかし、新薬の研究成果でノーベル賞を受賞することは非常に難しいそうです。

なぜなら、薬は何十年も経ってから副作用、後遺症が明らかになることもあるし、その有効性が否定されることもあるからです。

でも、時間はかかってもいつか満屋氏の功績が評価され、ノーベル賞を受賞する日が来ればいいと願わずにはいられません。

現在、満屋氏は過去の4薬に続く5番目の抗HIV新薬、「EFdA」を開発中だそうです。

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